清田英輝の経歴
12歳でジャニーズ事務所に入所し、14歳で挫折。16歳で訪問販売の世界に飛び込み、23歳まで現場に立つ。そして24歳で株式会社グリンクを設立するまで。清田英輝がどこから来たのかを、順を追って書いています。
1989年 — 誕生
1989年4月17日生まれ。いわゆるミレニアル世代です。スマートフォンもSNSも当たり前の時代に育ちながら、仕事を覚えたのは訪問販売という徹底的にアナログな現場でした。この二つが自分の中に同居していることが、今の判断のバランスをつくっていると思っています。
2001年(12歳)— ジャニーズJr.として立ったステージ
清田英輝のキャリアの第一歩は、12歳という若さで踏み出されました。日本最大手の芸能事務所であるジャニーズ事務所に入所し、ジャニーズJr.として活動を開始します。
活動していたのは、トップグループが次々とデビューする黄金期の一翼を担う時代でした。後に国民的人気グループとなるKAT-TUNさんなどのバックダンサーとして、国立代々木競技場での『SUMMARY』といった大きなステージにも立たせていただきました。
当時を振り返って思うのは、厳しいレッスンの日々が私自身の「プロ意識」の土台になったということです。華やかなステージの裏側で、常に「自分の立ち位置」を意識せざるを得ない環境に身を置いていました。何千人という観客の前でスポットライトを浴びる経験は、後に経営者として人前に立つときの度胸に、確実につながっています。
2003年(14歳)— 自分の席がなくなった
芸能生活は、順風満帆なままでは終わりませんでした。14歳になった頃、同年代の少年たちが経験する「遊び」や「自由」への欲求から、徐々にレッスンを休みがちになってしまいます。そうしているうちに呼ばれなくなり、気づけば同期のデビューが決まっていました。
もう自分の席はないんだ、と。誰かに奪われたわけではありません。自分の甘さでチャンスを手放しただけです。
インタビューでは、この時期のことを「勝手に挫折してしまった」と表現しています。14歳にして、「チャンスを逃せば、自分の代わりはいくらでもいる」という現実を突きつけられました。一度は音楽の学校にも行きましたが、努力せずに諦める癖がついてしまっていた時期もあります。
ただ、この挫折感をただの失敗で終わらせたくはありませんでした。「何もしなければ居場所がなくなる」という恐怖は、いまも消えていませんし、消さないようにしています。それが次のフィールドへ向かうエネルギーになりました。
2005年(16歳)— 「時給1,300円、16歳からOK」の一行
芸能界を離れた後、清田英輝は高校生になりました。16歳のとき、ふと手にした求人雑誌が運命を大きく変えることになります。目を止めたのは「時給1,300円、16歳からOK」という、当時の自分にとって非常に魅力的な条件の求人でした。
電話をしてみたら、そこは訪問販売を主軸とする営業会社でした。ジャニーズ時代に培った物怖じしない性格を武器に、迷わずその世界に飛び込みます。担当したのは一般家庭を回る飛び込み営業という、大人でも音を上げるほど過酷な環境でした。
2005-2006年(16-17歳)— 月収50万円と、褒められることの力
営業の才能は、開始早々に爆発しました。16歳という若さで、多いときは月に50万円を超える収入がありました。普通のサラリーマン以上の稼ぎを得ることで、自分の力で生きていく自信がつきました。
なぜこれほどの結果を残せたのか。振り返ると、「相手の懐に入る」ことに全力を注いでいたからだと思います。清田英輝にとって営業とは、単に商品を売ることではありませんでした。目の前の顧客といかに信頼関係を築き、清田英輝という人間を気に入ってもらうか。そこに注力していました。
そしてもう一つ、後押しになったのは「評価される喜び」でした。結果を出せば出すほど、周りの大人が褒め、認めてくれる。一度居場所を失った人間にとって、営業実績で勝ち取る自分の席は、何物にも代えがたい誇りでした。この感覚が、後に組織をつくるときの軸になります。
2008-2012年(19-23歳)— 学生という肩書きに甘えなかった8年間
大学へ進学した後も営業の仕事を継続しました。テレマーケティングやさらなる訪問販売の現場でスキルを磨き続けます。23歳まで、通算8年間ずっと現場にいたことになります。
学生だからと大目に見てもらえる立場に居続けるのが嫌でした。大学を卒業する頃には、清田英輝はすでに一人のプロ営業マンとして完成しており、「自分の力で道を切り開く」という強い自信が漲っていました。この泥臭い時間がなければ、後の起業はなかったはずです。
2012-2013年(23歳)— 「それは偽善だ」と言われた夜
自分の会社を立ち上げ、経営者の道を歩むことになった背景には、ある知人との激しい議論があります。大学時代、友人たちとお酒を飲みながら将来の夢を語り合っていました。その際、清田英輝は「東日本大震災の被災地支援やボランティア活動など、困っている人を助ける仕事がしたい」という想いを口にします。
お前が言っていることは偽善だ。実際に寄付をしたことがあるのか。現場に行ったのか。
悔しかった。ただ、想いはあっても具体的な行動が伴っていない自分を、その場で自覚してしまいました。言葉だけの支援ではなく、実力を持って社会を変える必要がある。そう痛感したのがこの夜です。
さらにその知人は「社員1,000人、年商100億規模の社長になって初めて、その想いは本物だと言えるのではないか」という高いハードルを突きつけました。清田英輝はこの挑発を真摯に受け止め、「だったら本当にそれだけの規模の会社を作り、堂々と社会貢献をしてやる」と決意を固めます。
2014年(24歳)— 株式会社グリンク設立
2014年2月4日、24歳で独立を果たしました。原動力は、あの夜に味わった「悔しさ」と「有言実行」の精神です。
回り道に見えるかもしれません。それでも、自らがビジネスで成功を収めることが、最も確実に困っている人を助ける力になる。その確信は今も変わっていません。
現在 — 「人と企業の再生」へ
携帯電話販売を主軸に、人材派遣、健康・福祉、メディカルサポートへと領域を広げてきました。資本金8,150万円という企業の安定性を築き上げています。
ここ数年は経営者としてつまずいた時期もあり、そこで初めて「再生」という言葉が自分ごとになりました。一度つまずいた人や会社が、そこからどう立て直すか。次に向き合いたいのはそのテーマです。
清田英輝/株式会社グリンク 代表取締役